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老舗計画株式会社

飲食店コンサルタント | 開業支援・経営改善

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僕の半生9

かなーり火の車のお店
なんとか生活費はデリヘル譲渡金が
月々少しづつ入ってくる事でなんとかしました。

ほんと、嫁さんには迷惑かけたよなぁ。。

この当時のはと屋店長は
昔からの友人に代替わり。

たまに店に飲みに来ていたんですが
人懐っこい性格と一生懸命なところが良くて
スカウトしたんですよね。

で、飲みに来ていた時に
(いつか焼き鳥やりたいんだよね)なんて言っていた事を
しっかり覚えていてくれたんです。

そしてある日
あれは年末だったかな。店長が彼氏を紹介してくれたんです
(焼き鳥屋で焼き方やってるので、これで焼き鳥屋できますね!)

そして、勢いだけで
焼き鳥屋やっちゃったんですよね。

まさに自転車操業
でも、だいぶ儲かってるように見えたんだろうなぁ。

ちょうどその時
焼き鳥屋さんに常連さんがいらして
町についてあーだこーだ話をしていたんです。

そうしたら
「そこまで言うなら今度補欠選挙あるから出ればいいじゃん」

と冗談めかして言われたんですよね。

ちょうどその時期
大河原の町議が二人タイで事故にあって亡くなり
二席空いていたんですよね。

「いいっすよ。やるっすよ」
と二つ返事。
なんかこう(どうせやらないんだろ。口だけだろ)
と言われた気がしたんですよね(笑)

そして家に帰り
嫁さんと話し合い。

ずーっと平行線だったので
「じゃぁ、じゃんけんして俺が勝ったらでる!」
と無理やり勝負に持ち込んで

結局勝っちゃったんですよね。

そして、選挙なんて全く興味なかった私が
町議選に挑んだわけです。

それが公示日一週間前だったかな。

詳しい話は割愛しますが
まぁ、色々と町の仕組みがよーくわかる体験でした。

デリヘルやっていた時
(オーナーが顔出せないような店で安心して働けるわけないじゃん)
という無鉄砲な理屈で
求人動画とかにバンバン私顔出して出ていたんですよね。
で、お店のお客様にも隠していませんでした。

なもんで
公示日と同時に
(あいつはデリヘルやってた!)(暴力団だ!)
ととある掲示板に書かれたりと
そりゃぁ賑やかな毎日でした。

そして
当選。

凄いんです、議員って
真面目にやるとプレッシャー半端ないし
嫁さんにも(議員の嫁たれ!)
的なプレッシャーがかかるんですね。

びっくりしたなぁ

そして何より
店に政治色がついてしまったために
今まで予約を入れてくれたお客様が離れたりと
ちょいちょい色々な事が見えてきました。

でも、だからといって投票してくれた人裏切れなかったので
毎回一般質問をしたり
とにかく勉強勉強の毎日でした。

で、変に真面目というか
頑固というか
(当選するための活動)ってなんか嫌だったんですよね

なんか顔も見たこと無いのに
名簿に名前書いたから投票する、とか
誰かの知り合いだから投票するとか

なんか違うような気がして
後援会作らなかったんです。

そんなもの作らなくても
ちゃんと活動していることがわかってくれれば
必ず結果はついてくる!

そして次の本選挙
選挙カーに乗ってのんびり回るのもどうなの?
と、自転車で毎日町を回って沢山の人と触れ合おう

と勝負に出た選挙。
見事落選!

不思議と悔しさは無かったんですよね。
むしろ安心した、そんな感じ。
そして思ったのは
(世の中の政治家の人って色々と大変なのね)
という、なんだか他人ごとな感想(笑)

短い期間でしたが
書けないような事もあり、もう二度と議員はやらない。
と決めていたんですが
周りはそう見ていなかったんだよなぁ。

そしてそれから
徐々に徐々に
様々な結び目がほどけてきたんですよね。

明らかに売上に対して多すぎる人件費
二号店、三号店の売上不振

なんとか給料を確保しようと
手を尽くしているうちに
店長の給料が10日遅れたり。。

いつか私とみんなの間に
深い溝ができ始めてきました。

今思えば、もっとやり方あっただろうし
もっと伝え方があったんだろうと思います。
今だったらもっとしっかりできるはず。

だけど、あの時期があったから
今があるんですよね。

店長は、私が随分と搾取していて
自分たちは酷い目にあっている。
そんな気持ちになっていたんです。

売上と人件費見ればわかってくれると
思っていた私が甘かったんですよね。

年末も近づいたある日
スタッフミーティングにて
アルバイト一人を残して
全てのスタッフが今年一杯で辞めます。

という事が伝えられました。

結局、お店で起こった事は
全て経営者の責任なんですよね。

Aさんが事件起こした時も
亡くなった時も。
その後の沢山のトラブルも
全部自分の責任。

わかってもらえなかったのも自分の責任。

だから(わかりました)としか言えなかった。

そして、ひとりきりの営業が始まり一年。

あの震災がやってきたんです。