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老舗計画株式会社

飲食店コンサルタント | 開業支援・経営改善

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僕の半生8

3月9日
同じ高校で、なんとも縁を感じていて
苦しい時を一緒に乗り越えてきたAさんが
自らの手で旅立ってしまいました。

なんだか、なにをしていいんだかわからず
まずはご実家へ連絡すると
「後にしてくれ」
そりゃそうですよね。

どうすることも出来ず
初代店長Sくんと、ひたすら泣きながら飲んでいました。

翌日、改めてご実家へ伺うと
遺書も無く、どうして亡くなったのかがわからないようでした。
そして、その矛先が私へ。

あの日の、盛り付けやり直しが
もしかしたら引き金だったのかも
と思うと。もしかしたら店の事で悩んでいたのかもと思うと

反論も出来ませんでした。

Aさんの負担を軽くしようと採用した新人スタッフに話を聞くと
直前まで電話をしていたようで
その時は何事も無かったようでした。

最後まで私への気持ちは消える事ないままでした。
よりによって、新人スタッフが火に油を注ぐような行動を取ってしまったのも
原因になったのだろと思います。

脱力感と不安と
沢山の気持ちで、私はもう一度初心に帰ろうと
しばらくしてから
デリヘルを当時のスタッフに譲渡して大河原へと戻ったのですよね

話は前後しますけれど
独立するやや前だったと記憶してるのですが
祖父母が二人共脳梗塞で倒れ母が一人で二人を
ずーっと在宅介護していたんですよね。

自分で資格をとって
介護タクシー立ち上げて頑張っていたのです。

母もあまり身体強い方ではないので
それのサポートも含めて地元で独立しようと思った事を忘れてました(笑)
色々とタイミングだったのかなぁ。
んで、Aさんがなくなる前に
祖父が他界したんだったなぁ。
それが3月10日。

だから毎年3月9日から11日までは
なんだかそわそわするんですよね。

ちなみに、祖父が他界してから
いわゆる(遺産相続)で親戚が揉めに揉めまして
母は三兄弟の長女だったのですが
もうこれから先、私達親戚で集まることは
無くなってしまったんですよね。

ただでさえ少ない親戚だったのに
なんだか悲しいですけどね。
いつか、もう一度いとこ同志で集まりたいなぁ。

さて、大河原に戻り
二号店を切り盛りしていた訳ですが
相変わらず売上は伸びるものの
人件費や原価が高く
利益が出ていませんでした。

本来であれば、人件費を削減するため
スタッフを。。

という話だったとは思うんですが
なぜか踏みきれなかったんですよね。

ほんと甘かった。
人件費を賄うくらいの売上があればいい!
なんてかっこつけてたんですよね。

そんな中
娘ちゃんが誕生します。

最初はね
なんだか、どう接していいかわからなかったんです

ただ、一生懸命一緒にいようとだけ思ったんですよね。
嫁さんはバリバリの美容部員で仙台勤務だったので
すでに現場復帰。

そのため
三ヶ月から
私、今度は主夫デビューとなったわけです。

ちなみにその時の家族構成は
当時の嫁さんと私はお互い再婚同士
嫁さんには先に二人のかわいい娘ちゃんがいまして
これで三姉妹となったわけです。

上の子二人に協力してもらいつつ
見習いパパはとにかくずっと娘ちゃんと一緒でした。

あまり当時の写真が無いのですが
ずーっとカンガルーみたいにしてましたね。
もしかしたら、オヤジにされなかった分
子供にしてあげたかったのかも。

あ。これも書くの忘れてた。。
開業してから一年が経ったあたり

実は私が大きくなってからも
自宅にオヤジから電話が入っていたんですよね。
それも必ず酔っ払って。
で、おふくろと長電話していたんですが

出るのが嫌で留守番電話にしていたんですが
スピーカーから
酔っ払ったオヤジの怒鳴り声が聞こえるんです
「出ないとひどい目にあわせるぞ!」
とか。それがほんと嫌で。

今思うと、すごく寂しかったんだと思います
でもそれをうまく表現できない人だったんだろうと
だからおふくろに甘えて電話寄越したんでしょうね。

でも私は嫌だった。
だから、店を出した時もずっと内緒にしていたんです。

でもある日
店に出ると留守番電話が入っていたんです。
なんだろ?と再生を押すと
そこにはそんなに酔っていないオヤジの声。

でも反射的に削除してしまったんです。

それから半年後
なんとなくおふくろがオヤジに電話したら
繋がらなく。

オヤジは誰にも看取られる事なく
マンションの一室で孤独死をしていた事がわかり
私にも連絡が無いまま
葬儀も無く、縁の薄い誰かの墓に入れられている事がわかったんです。

その話聞いた時
身体の半分が無くなった気がしました。
すぅっ
って風が抜けていく感覚がしたんですよね。

そして、あの留守番電話を削除してしまった事を後悔したんです。
あの電話出ていれば、もしかしたら。。。って。

Aさんにしてもオヤジにしても
亡くなってから気づくんですよね。もっとこうしておけばって。

オヤジ、祖父、Aさん

娘を見せたかったなぁ

そんな想いでひたすら主夫道を邁進しまして
娘ちゃんが三歳になったある日

いよいよアレです。

阿部大議員デビューです。