思う事があるんです。
世の中の調理方法として
そのまま捌く
炒める、焼く、蒸す
揚げる
揚げるってなんか異様じゃないですか?
火を発見する前は
そりゃ捌くという方法は当たり前だと思うんです
そして火を発見してからは
焼くという方法にいたる過程はなんとなく想像に固いわけです。
まぁ
とりあえず川や海の水を温めてみた
なんか湯気でたワッショイ!
この湯気あついぜべいびぃ
という訳で
その湯気を使って食材を加熱した
というまではわかるのです。
けれど揚げ。
なんでしょうこれは。
37年生きてきて身近に油が自然発生しているところ見たことありません。
水たまりはあれど油たまりは拝見した事すらござんせん。
おそらく
油を発見する過程を経てからの調理なんでしょう。
その油も
最初は調理用ではなく
カンテラなど灯りを灯すところから来てるんじゃないかなと。
そいつを使って
素揚げだけじゃなく
小麦粉といてやれ天ぷらだの
パン粉つけようだの
そりゃもう変態の域だと思います。
でも思うんです。
土台はゼロでは無かったんだなと。
あくまでも
調理という土台があって
そこにどのように結びつけた
それが形となって後世までつづくその調理方法が確立されたのかな
そんな思いがあります。
まぁ実際はどうかはわかりません。
私は飲食が好きです。
それはもうたまらないほど好きです。
けれど今はそこを離れ
格闘技用品を営業しちゃったり
おさけかばん工房として
営業しちゃったりしています。
でも
とっても楽しいんです。
最初に油をなんとなく発見した人は
おそらくそれが調理方法に繋がると思ってなかったはずです。
でも私は
この一連の仕事が
いつか
飲食に繋がると信じて仕事しております。
私が大好きな
合気道、塩田剛三先生は
金魚鉢の中の金魚から
合気の極意を見出したように
どこに接客の極意が転がっているかなんて
誰にもわかりません。
油が調理方法に不可欠になるだなんて
当時は誰も思ってなかったはずです。
でも今は必需品でしょ
おそらく
油になりそこねた準調理方法って
沢山あったはずです。
でもそれは
沢山あったからこそ、油を見いだせた訳であって
これから混沌とするであろう
サービス業界の中
どれが本流になるかなんて
誰にもわかるはずありません。
もしくは本流なんてないのかもしれません。
けど
そこに愚直に挑むって
なんかかっちょいいよね(笑)
無論
軸を無視して飲食業界のために!
と営業するのでなく
営業する中で
それが飲食にもリンクできる!
となって
新しい道を見いだせたりしちゃったら
もうそれは生きてる意味があったって事ですよね。
そんなつもりで
私は今生きています。
もちろん
お客様のために。そしてそれが
いつか飲食の未来に繋がるために。
阿部なになってんだよ
そうお思いの方もいらっしゃると思います。
けれど阿部はまだまだ夢の途中
修行の途中です。
揚げを開発したかの方のように
新しい道作りたいもんです。
でもなぁ本当に
焼く
炒める
蒸す
揚げる
干す
冷やす
漬ける
この根幹になるような調理方法って
いつ新しい方法でるんでしょ。楽しみだわぁ。
個人的には圧縮するとか侵食するだと思うのですが。